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今なお残る「江ノ電『601号』」その3

 08, 2016 00:20
前回よりだいぶ時間が経ってしまいましたが、江ノ電「601号」の続きです。

509.jpg

連結面側を道路に向けている元江ノ電601号車。
のっぺりした印象を受けるが、東急時代はこちら側にも運転台があった。
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この「601号車」が他の仲間3両と、東急から江ノ電にやってきたのは昭和45年(1970年)のこと。
中古ながらも江ノ電(当時は江ノ島鎌倉観光)にとっては、久々の新車?でした。

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昭和30年代、当時の江ノ電は300形・500形が主力でした。
300形は江ノ電や他社の中古の車両を改造したもので、昭和31年から昭和35年まで増備が続きます。
(306Fを除く)
また500形は昭和31年から2本登場しましたが、費用が高額だったため2本で終わります。
(帳簿上は改造扱い。ほとんど新製したものの台車等は流用品でした。)

しかし昭和36年(1961年)以降、増備がパタッと止まってしまいます。
この頃、密かに、江ノ電上層部では「鉄道の廃止計画」が持ち上がります。

この頃は日本は高度経済成長を迎えます。
湘南地域では、江ノ島が東京オリンピックのヨット競技の開催地となり、様々な道路が改良されました。

当時の江ノ電(当時は「江ノ島鎌倉観光(株)」)は、鉄道だけではなくバス事業と観光事業の拡大を続けていました。
特に江ノ島近くに「大型駐車場」を設けるなど、時代の先を読んでいました。

鉄道部門も新車投入などの投資を図ったものの、乗客は頭打ち。
逆に投資が裏目に出て、大きな負債を抱えることとなりました。

しかし、当時の江ノ電の鉄道は、ラッシュ時に1時間に3000人を運んでいました。
バスに換算すると「100台」用意しなければならず、とても不可能と判断。

また自動車が増えると周辺道路が渋滞するようになり、改めて鉄道の優位性が認められました。

さらに昭和40年、藤沢駅周辺にデパートが出来ると、藤沢駅南口の再開発が本格化。
また、路線バスの乗客もピークから徐々に減少し始めます。
結局、江ノ電の鉄道事業の「廃止計画」は立ち消え。
鉄道事業は継続となり、藤沢駅高架化および百貨店の建設へと進んでいきます。

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DSC00588.jpg
夕方5時までは車内が見学できます。
日が落ちるのが早い冬の夕方だと、このような姿を見ることが出来ます。
車内に座って、往年の姿を思い起こすのもいいものです。

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